昨夜のパーティでお会いした女性とロスで日本人アーティストの作品を売り込む方法の話になった。美容師もそうだけど、やはり日本人は手先が器用で仕事が繊細らしく受け入れられやすいという話ではあった。
会話の中で「ニーマンマーカスとかじゃなくて、たったひとつを求めるような、そんな人に買って欲しくない?」と聞かれて、正直わからなかった。「いや、私はニーマンマーカスに取引してもらえるなら飛び上がりますよ。」と言って二人で笑った。
1つ1つのモノづくりももちろん好きで、エイジングのシザーケースはそれだ。型は決まっているけれど美容師さんがカラーを好きに選び、それを手縫いで仕上げる。世界に1つだけのシザーケースが出来上がる。しかし、それが嬉しいと思えることのひとつに、それを使うのが職業人であり美容師という個人と言えども法人のような八百屋さんのような存在だからということも挙げられる。
展示会などで1つ1つの表情が違うものを並べてそれを迷って手にとってくれることはもちろんとても嬉しい。
今回働く袋展でピンクに赤のキャップをかぶせてあるKawa-penを買ってくれたお客様が、見本のペンを「これください」とおっしゃった。袋に入った新しいペンをお渡ししようとしたら「いえ、このペンがいいんです。」とそれをお買い上げくださった。スタッフと一緒に「うれしいね、こういうの。きっと手に馴染んだんだろうね。」と言い合った。
ということは、色や形が同じようなものでも、その1本になぜか愛着が湧くということがあるのだと思うし、私自身そういうタイプだから、より多くの人に多くの製品を見てもらいたいという気持ちがある。アーティストがつくる1点ものも魅力的だが、最初の1つを作り上げるのに並々ならぬ力を注いだものは、そのあとに出来上がる何千、何万の量産品にも魅力があるのではないか。最初のモノづくりの姿勢によってはすべてが1点ものになり得るのではないかとちょっとくだらない(?)ことさえ考えてしまった。
帰りに富山の家具職人としばらく話していた。同じ歳の男性。盆栽に合う飾り台を彫りだして作っていてそれが素敵だった。似たような形をたくさん自らの手で作り出すことについて話していた。私は私でそれを語るときはシザーケースのことが頭にあった。今シザーケースのシリアルナンバーが420番まで来ているから420個同じ形を作っていることになる。
彼が「飽きるんですよ、やはり。だから工程を少し変えて別のものと段取りしながらっていう工夫はする。でもそれには限界がある。一番やる気がなくなるのは、ただこれとおなじものをたくさん作れといわれることかな。でもこの1つがどこに飾られて、誰のもとに届くかを知るだけでそれが変わる、それが届く先のことを考えながら手を動かすのは飽きないんだ。」
そう思って私は工場にそういう話をすることがあるんだけど、工場によってはそんなこと一切関係なく、「数はいくつくれるんですか?」と聞かれるし、そっちが最優先だったりする。
彼にもし家具を頼むとする。「この範囲に入るもので、これくらいしか予算がない。用途はこんな感じ。好きに作って欲しい。」と頼んだらどうだろうか。彼曰く「そういう仕事が楽しいんだよね。フツウの家具を買うよりはもちろん高くなるかもしれない。でも、多分そうやって任せてくれたら、人が気づかないような手のかかる技法を僕は凝らすと思うし、結果として考えれば安いことになるんだと思う。こちらも値段じゃないんだから。」だそうだ。
正解があることではないけれど、私は会社を経営しているわけだから様々な立場の人がいることと、その立ち位置から見える景色をできる限りたくさん知りたい。そう思いながら、昨夜はあまりお酒を飲まずにお酒を飲んでいる人と話した。
