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パウル・クレーの3,900ページに及ぶノート

美しすぎる作品の裏に、これだけの緻密なノートがあったとは。
という友人からのメッセージと共に教えてもらった3900ページに及ぶパウル・クレーのノートブック。なんという繊細さ。。

http://www.openculture.com/2016/03/3900-pages-of-paul-klees-personal-notebooks-are-now-online.html
友人は、ファンならいくらでも楽しめそうだね!と言っていたけれど、楽しめることに加えて、緻密なノートがあったことに安心すら覚えました。。

クレーは1914年のチュニジア旅行で色彩に目覚めのようなものを得たと言われており、”色彩が私を捉えた もうそれを追いかけることはない 私は画家になったのだ”(言葉は私のうろ覚えです)というようなことを言っていて、作品はガラリと大きく変わった。その後のこのノート。何だか感慨深いなぁ。

1914年直後の第一次世界大戦でクレーはドイツ軍に徴兵されています。戦争では大切な人を亡くして失意のどん底にあったらしい。1920年に描かれた”窓辺の少女”という優しいパステル調の色合いの絵があるのですが、この絵は分断された大きな絵の一部だったと後に判明します。繋ぎ合わせたそれは、第一次世界大戦の荒れた地で死んだ妊婦を見つめている少女だった・・・その衝撃の内容と見解を昨年の新聞記事で読みましたが、絵を切って貼って死と再生を表現したとされるクレーの眼には何が映っていたのか。結局のところ、その真意は誰にもわからないのでしょうね。

ところで、このノートは、バウハウス時代のもののようです。ここで教師として授業を行っていましたが、実はそれまで教師としての経験はまったくなくて、その知識や能力の大部分は独自に身に付けたものだったんだとか。

Agingでは晩年に彼が描いた天使の絵のポストカードも取り扱わせていただいているのですが、彼の絵に心を捉えられる人もまた多いはず。音楽家でもあり、複雑な心を持っていたクレー。哲学を感じずにはいられない世界がいつも浮かび上がります。