ものづくりから生まれるもの

午後から玉川税務署の新設法人説明会へ。法人税や源泉所得税、消費税等、法人になると関係する税金が多い。中小法人(資本金1億円未満)はさまざまな優遇制度を受けられることになっているものの、概ね意思表示なくては機能しないというルールになっているから、知らないと使えない。税率の軽減、少額な減価償却資産の損金算入、交際費の定額控除など、どれも関係あることばかり。あぁ、無知は罪。

その後、二子玉川の高島屋をぐるりと見回し、食事を済ませてから池尻大橋の世田谷ものづくり学校へ。異業種のメンバーとの出会いは、これから新しい風が吹くことを予感させてくれる。新しい人間関係を拒まない自分でいたい、いよう。

「上から下に流れるんじゃない。本当の知性は下から上にスパイラル状に広がるもの。」「会社に入っていればそれで安心?そんなはずない。本当の安心は、揺るぎない自分でいられること。」IDEEの黒崎さんの言葉に感じることがたくさんあった。

ものづくりというのは、物をつくるだけではない。産む作業も苦しみだけではない。

Merci pur tout.

502438bc.jpgパリからお便りが届く。都筑清さんは今年、東京からパリに拠点を移して活動するカメラマン。そのブログにおさめられている写真をじっと見て、気に入った一枚を報告しようと思ったら、ん?メールに添付画像がついている。そしてそれは一致していた。

彼は「月刊カメラマン」モーターマガジン社刊、2002年11、12月号に連載されたものに加筆、修正を加えたエッセイを2005年8月に再掲載している。彼にとってのスタートラインは一体いつなのだろう。もしかして、いつだって「今」なのだろうか。

癒しの時間

アトリエで黙々と作業していると、制作が一段落ついた夜中に癒しの時間が欲しくなる。少し前まではそれが読書だったし、その前は長いお風呂だった。読書と長風呂は合体してしまったので、最近はキャンドルの灯だけでお風呂に入ることから遠ざかり、代わりに入浴剤が必須。更に前は、お風呂で水道の蛇口を微妙に調整しながら、湯船に落ちる水の音を楽しんでいた。これを誰かに言うのが恥ずかしかったけれど、1年程前に一緒の趣味をもつ貴重な仲間を発見。それは中田悟さんで、私は彼のCDを何枚か持っている。雨の音のCDが欲しくて一度リクエストしたことがあったのだけど、雨を録音するのは難しいそうで、もしいつか木の穴にもぐって録音ができたら聴いてほしいとおっしゃっていた。実現するのかな。

そこに革があったから

9fdfa65c.jpg先日友達からプレゼントされたオリーブの木の鉢カバーを探すつもりが、急に作りたくなる。アトリエで材料になるものを見回すと、当たり前だけど目の前には革だらけなので、革の鉢カバーを作ることに。豚革と牛のヌメ革を組み合わせて革紐グルグルのこの作品に自分では大満足。そういえばこのアトリエのトイレットペーパーホルダーもスリッパもすべて革。思いついて瞬時に作るのって本当に楽しい。

時間と記憶の不思議な関係

今朝は6時にゴミを出す。1日のはじまりを感じさせてくれるこの時間帯が好き。緑が丘方面から奥沢神社に向かうこの道は、この時間帯、車通りが少なくてふわーっと光が差し込む。私はこういう景色が大好きだけど、それは同時に寂しさや切なさを感じる瞬間でもある。何度も何度も朝はくるけど、すべてを洗い流したようなこの景色に、過去には戻れないと囁かれている気がして。

1日のはじまりと書いたけど、実はこの時間から寝た私。たまにはこんな朝もある。お昼に起き出して、また制作。遅いランチをとりながら、朝夕刊まとめ読み。こちらは過去を引き寄せる作業。時間って何なんだろう。

自分の中に毒を持て

自分の中に毒を持て-あなたは“常識人間”を捨てられるか
特別な日には、特別な本に出逢う。『二人はそれぞれ「なりあまれる」ところと「なり足らぬ」ところがあった。それで宇宙の中心である柱のまわりを廻る。』自分に欠落した部分は、何によって充たされるのか。ひたと向かい合って一体になる相手は誰なのか。これが岡本太郎のいう「愛」の問題の根底。そして「相手の中から引き出す自分 それが愛」と繋がっていく。これは男女、親子、人間、それぞれに当てはまり、彼は芸術に対しても同じことを感じているように私には映る。
いちばん辛いのは現在で、”いずれ”なんてない。その瞬間にできる精一杯をやり、強烈にひらき、未練がましくある必要はない。全身全霊が宇宙に向かって無条件にパーッと開く、そんな岡本太郎さんの爆発を、私も生きているうちに体得できるだろうか。

地震雷火事オヤジ

この順序は、私の中でも正しい。最近関東でも頻繁に大きな地震があるが、グラッとくるとすぐに机の下にもぐり、着替えようか迷う。それから雷。これは街中でピカッと大きな稲妻を見た時に傘を放り投げて地面に伏せたことがある。このとき道行く人は平然と歩いていて、何とも言えない間ができてしまった。それだけ私は天災が怖いのだ。大きな災害に遭遇したこともないのに何故怖いのか疑問だけど、人間のDNAには地獄という感覚など、すべての人が見た事もないのに共通認識のものが埋め込まれているのではないかと聞いたことがある。誰もが通ったものなのかはわからないけれど、妙に納得した。

ちなみにオヤジは親父ではなくて、大山嵐=台風ということです。念のため。