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日常の出来事が撮影されるとき

制作の合間を縫って友人宅へ。お昼ご飯をご馳走になる。先月末に彼女が鹿児島を旅行した際に習った料理を振る舞ってもらい、更にその日は雑誌の撮影も兼ねていたので友人として私も雑誌に出るらしい。多分奥の方にちょこっと登場するだけだろうと思っていたら、なんと誌面は5ページもあるのでお客の私たちも大きく掲載されるということが途中でわかる。

彼女の価値が落ちないだろうかと多少心配しながらも、鹿児島の写真や料理を味わいながら、祖母のことを思い出す。友人は私の祖母の家にも宿泊したので、そのときの様子を方言つきで教えてもらうとまぶたの裏側に包丁でトントンと野菜を切ってはお料理する祖母が見え隠れする。祖母、母、娘と伝承することが難しくなってきている昨今、こうして友人が第三者の目で祖母の様子を語ってくれることがとても新鮮。そして正確。親子というのは聞いたことを自分の都合の良いように変えてしまうことがある。素直に聞けないこともあれば、身内贔屓になることもあり、結局知らず知らずのうちに弱点を育ててしまうこともあるけれど、それがまた面白かったりもする。普段まったく気づくことのない長所も浮き彫りになるのがまた可笑しい。

祖母の取材をしてきたかのような友人の言葉を第三者として聞きながら、お昼ご飯をご馳走になるそのシーンもまたカメラに収められ取材されているって不思議な感覚だ。